ノート のノート


2007. 06. 23.

すばらしいスピーチ、「ハングリーであれ、馬鹿であれ」


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ノートです。アップルコンピュータCEO(最高経営責任者) スティーブ・ジョブズ氏が、2005年にスタンフォード大学の卒業生に贈ったすばらしいスピーチです。iPodでも一躍革新的な市場展開をしたアップル。そしてiPhone、イギリスのエコノミスト誌では、iPhoneが発表された時に、「革新的というより革命的」というコンサルタントの発言を引用して、かなり高い評価を与えてました。

さらに最新号ではカバーストーリーでアップルを取り上げ「アップルにはいろいろ問題もあるが、それでも他社が学ぶことができる教訓が4つある」というなかなか面白い記事が書かれているのですが、今回はここではこの内容はノートしません。

ここでは、そういった「革新的」なアップルのもとになったスティーブ・ジョブズ氏が、どのような環境下で自身を磨いてきたのか。それを感じることができるスピーチのご紹介。

長いけど、きっと感動していただけると思います。
英文のスピーチリンク先

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【和訳:ノート】

本日、世界でも指折りの大学を卒業される皆さんと、こうした門出の舞台に同席できとても光栄です。
実は私は大学を出たことがありません。事実これが大学卒業という場面に一番近い経験となります。

本日は皆さんに私の人生から3つのストーリーをお伝えします。どうってことはありません。たった3つのストーリーです。

■□■ <1>点と点のつながり ■□■

最初の話は、点と点のつながりの話です。
私はリード大学を最初の6ヶ月でドロップアウトしましたが、でも本当にやめるまで18ヶ月ぐらい大学に残って授業を受けていました。
じゃあ、何で辞めたんだ?ということでしょうね。

まず始めの”点”は、私が生まれる前から始まります。
私の生みの母親は若く、未婚の学生で、私が産まれたら養子にだすと決めていました。

私の生みの母親は私が大学を卒業することを強く望んでおり、全ては私が生まれる時にそのように養子先の弁護士夫妻で準備されていました。

ところが私が産まれると弁護士夫妻は最後の最後になって女の子が欲しいと言い出した。
そこで、養子縁組待ちをしていた今の両親に夜遅くに電話が鳴り、「予定外の男の子の赤ちゃんが生まれたんですけど、いかがですか?」と聞かれ、彼らは「もちろん」と返事をしました。

でも、後で私の生みの母親が知ったのですが、私の育ての母親は大学は出ていないし、育ての父親は高校さえ卒業していない。
生みの母親は養子縁組へのサインを拒みました。
その数ヵ月後、今の両親が将来大学に行かせると約束したので、生みの母親もさすがに最後には折れました。

そして、17年後私は大学へ進学しました。
しかし、私はスタンフォード大学なみの高い学費の大学を考えなしに選んでしまったため、労働者階級の両親がこつこつ貯めている貯蓄全てが私の学費に消えてしまっていた。
6ヵ月後、私はもう大学に何の価値も見出せなくなっていました。
ここにきて、人生において自分が何をしたいのか見出せなくなっていたし、それに大学がそのためにどう手助けしてくれるかも分からなかった。
それなのに、親が生涯かけて貯めている貯蓄をこの大学で全て使い果たしている。
だから全ては上手くいくと信じて、大学をドロップアウトすることに決めました。
その時はやっぱり少しビビっていたけど、でも今振り返ると、その決断は人生を決める決断でした。
ドロップアウトした時から、私は興味のない必修科目をとる必要もなく、もっと面白そうな科目をとることができたんですからね。             


ロマンチックな生活とはホント無縁でした。寮のに自分の部屋がないから友達の部屋の床に寝たり、コーラのボトルを返却して5セントもらって食費にあてたり、日曜日の夜には7マイルの距離を歩いて街を抜けて、ハーレクリシュナ寺院まで行ってご飯をもらったり。そのご飯がまたうまくてね。

こうした自分の興味と直感で身に着けた多くのことは、後で大きな価値となりました。
具体的な例を話てみましょう。


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当時リード大学は、おそらく国内で最高のカリグラフィ教育を提供していました。
キャンパスにある全てのポスター、棚の引き出しに貼られる全てのラベル、全てが美しい手書きのカリグラフィで描かれていました。
私はドロップアウトしている、それに普通課のクラスに出る必要もない、だから私はカリグラフィーのクラスを受けてその美しさをどうやったらできるのかを習うことにしました。

まずセリフ書体を習い、サンセリフ書体もして、文字と文字の組み合わせに応じてスペースをとる手法を習ったり、素晴らしい書体を作り上げるものは何なのかを学んだりしました。
それは美しく、歴史があり、科学では証明できない微妙なアートが繰り広げられる世界で、私は夢中になっていました。

こういったものは、私の人生で実用的なものではないと思っていました。
でも、10年後、初めてのMacコンピュータを手がける時、このカリグラフィーの経験がよみがえってきたんです。
そして私たちはこの時の経験をそのままMacに取り込んだ。
Macは世界初の美しい書体を備えたコンピュータとなりました。
もしあの時私が大学であのコースを選択していなかったら、Macは複数書体やスペース調整のフォントも実現できてなかった。
WindowsはMacのコピーに過ぎないので、パーソナルコンピューターとしてそういった機能は実現されていなかったでしょう。

もし私がドロップアウトしていなかったら、私はあのカリグラフィークラスを選択しなかっただろうし、パーソナルコンピューターは今のように素晴らしい書体を兼ね備えたものは世に出てこなかった。

もちろん大学にいたころの私は、そういった先のことを見越して点と点のつながりを見出すなんて出来ませんでした。
でも、10年後、こういった点と点のつながりは本当にクッキリとみえる。

もう一度いいます、先回りしてその点と点のつながりをみることはできない、積み重ねてきた経験を振り返って、その点と点をつなげることができる。
だから将来、そのたくさんの点があちこちにあっても、何かしらその点と点がつながると信じなくてはダメだ。
自分の性根、運命、人生、業、何であれ、君たちはそう信じなければならない。
そう信じることで私は何も失意におちいることも無かったし、私の人生を大きく変えていった。


■□■ <2>愛と敗北 ■□■

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二番目の話は愛と敗北。

私は幸運なことに、人生の早い段階で自分は何をしたいのか見つけることができた。

ウォズと私は実家のガレージでアップルをスタートさせました、二十歳の時です。
がむしゃらに働いて、たった二人でガレージから始めたアップルは、10年後には従業員4千人以上の20億ドル企業までに成長しました。
私たちが提供する最高の製品、マッキントッシュを発表して早1年、私は30歳になりました。
その矢先、私はクビになった。

自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
どうしたら自分が始めた会社からクビになるのか?という質問になると思います。
まず、アップルが大きくなり私たちは会社を運営する優秀な人材を私の片腕として雇い、最初の一年から数年はうまく行っていました。
でも、私たちがお互いに描く将来のビジョンに亀裂が生じ、私たちは最後には言い別れになってしまった。
そして開かれた取締役会議は彼に味方し、私は30歳にして会社を追放された。
そして、私のことは随分と世間で騒がれました。
自分が社会人人生をかけて取り組んできたこと全てが無くなってしまった、私はもう絶望的でした。

数ヶ月は本当にどうしたらいいか分かりませんでした。
前の世代から受け継がれた企業家から手渡されたバトンを、渡された途端に私は落としてしまった、そう感じました。

このような形に陥ってしまったことを詫びるために、イヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。
私は世間が知る敗北者で、シリコンバレーを離れることも考えました。
でも、そうこうしていると何かが見え始めてきて、私は自分がしてきたことをまだ愛していることに気付いたんです。
アップルで起こった様々なことは私の気持ちを何も変えなかった。
アップルから追い出されても、まだ愛していた。
だからもう一度初めから出直そうと決心したんです。

その時はまだ気付いていなかったのですが、アップルから追放されたことは人生最大の出来事をもたらしてくれました。
成功者であることの重みは、全てはもう一度ビギナーである軽さに変わりました。
それは、自分の人生で最も創造的な時代へ踏み出す自由をくれた。

続く5年のうち、私はNeXTという会社をスタートさせ、Pixarという会社を作り、妻となる素晴らしい女性と恋に落ちました。
Pixarは世界で初めてのコンピュータ・アニメーションの「トイ・ストーリ」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオとなりました。
思いがけない出来事で物事が進み、NeXTはアップルが買収、私はアップルに復帰し、私たちがNextで開発した技術は現在アップルが進める企業再興の心臓部分となっています。
そしてロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いてきました。

もし私がアップルをクビになっていなかったら、こういったことは何一つ起こらなかったと断言できます。
そりゃひどい苦味の薬でしたけど、でも私のような患者には必要だったんだと思います。
人生時にはレンガで頭をガツンと殴られるようなこともあります。
でも信念を失ったらだめだ。

私が挫けずにこれまでやってこれたのは、私は私がやってきたことを愛しているということだけ。
皆さんも自分は何を愛しているか見つけなければならない。
それは仕事も恋愛も同じ。皆さんもこれから仕事が人生の大部分をしめるだろうけど、心から満足をするためには、自分が素晴らしいと信じる仕事をする、その道しかない。
そして素晴らしい仕事をしたいと望むなら、その道はただ一つ、自分が愛する仕事をすること。
もし、まだそれが見つかっていないならば、探し続けなければならない。止まっちゃだめだ。
心の問題と同じで、そういったことは見つけるとすぐ分かるものだ。
自分が探しあてた仕事は、素晴らしいパートナーとの積み重ねる経験と同じで、年を重ねるごとにドンドン良くなっていく。
だから、見つけるまで探し続けること。止まっちゃだめだ。


■□■ <3>死をみつめて  ■□■

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三番目の話は、死について。

私が17歳の時、ある引用句を読みました、たしかこんな内容です。
「毎日これが人生最後の日だと思って生きるとしよう。それはいずれ、必ずその通りの日がくるだろう。」
その引用句は私に強烈な印象を与え、それから33年間、私は毎朝鏡をみて自分自身に問いかけてきました「もし今日が人生最後の日だとすれば、今日することは、本当に自分がしたいことなのだろうか?」。
そしてその度に出る答えが「NO」の日が幾度も続けば、そろそろ何かを変えなければならないと思い知るわけです。

いつか自分は死ぬということを思いおこすことが、これまで私が人生を左右する重大な決断の時に、最も大切な指標となりました。
なぜなら、寄せられる期待、プライド、困惑や挫折に対する恐怖、あらゆること殆ど全ては、私たちが死に直面してすぐに消えてなくなってしまい、そして残るのは本当に大切なことだけ。
皆いつかは死ぬ、それを思いおこすだけで、何か失ってしまうんじゃないかという考え方を避けられるし、こういう思考が一番の私の最善策になります。
皆さんは既に丸裸。自分の心のまま生きることに何の理由もいりません。

一年ほど前、私は癌と診断されました。
朝の7時半にスキャンを受け、膵臓にハッキリと腫瘍が映しだされていました。
私は膵臓が何かすらも知らなかった。
医師たちは、これは治療できない癌であると私に言い、あともって3ヶ月から6ヶ月の命であろうと告げました。
私の医師は家に帰って身の回りの整理をするようにアドバイスしました、これは医者の世界の「死にいく準備をしろ」という意味のドクターコードです。
それは、たった数ヶ月の内に、子供たちに今後10年間において伝えたいことがあるなら思いつく限り全て言うようにということ。
それは、家族がなるべく穏やかな気持ちで対応できるよう、ちゃんと整理をつけておくということ。
それは、さよならを伝えるということです。

私は一日中その診断結果を抱えていました。
その日の夕方遅く、私は生体組織検査を受け、喉から内視鏡を入れ、胃を通ってそして腸に入り、膵臓に針を刺し、幾つかの細胞を腫瘍から採取しました。
私は鎮静剤を打たれていたので分からなかったのですが、立ち会っていた妻からの話によると、医師たちが顕微鏡を覗き細胞をみた途端、急に泣き出したそうで、それは膵臓癌としては極めて稀な形をしていて手術可能だとわかったからだそうです。
私は手術を受け、そして今はこうして元気でいます。

これは私が生きてきて最も死に近づいた経験で、ここ数十年はこれ以上に死に近づく経験はあって欲しくないと願っています。
でもこの経験をしたからこそ、今皆さんに多少確信を持って言えることがある。

まず、だれも死にたい人なんていない。天国に行きたがる人だって、そのために死にたいとは思わない。
でも、死は皆共通にしてもつ終着点です。
死から逃れられた人は誰一人いない。そして死は生命が生んだ最高の創造物であって、あるべきものなんです。
死は生命の変化を促す。死は古きものを新しきものへと創造していく。
今現在、皆さんは新しきもの、でもそう遠くない将来、皆さんも次第に古きものになって、そして無くなっていく。
とても劇的な言い方になるけど、でもそれが紛れもない真実です。

君たちの時間は限られている、だから自分以外の人生を生きて時間を無駄にしたらだめだ。
定説という罠にかからないように、定説は他の人たちの考えが生んだ結果論にすぎません。
自分の内なる声が、他の雑多な意見に惑わされないように。
最も重要なのは、自分の心・直感に正直でいる勇気をもつこと。
自分の内なる声・心・直感というのは、不思議なもので自分が本当になりたいものは何か既に知っている。
だからその外のことは、二の次でいいんだ。


■□■ <4>ハングリーであれ、馬鹿であれ ■□■

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私が若い頃、「The Whole Earth Catalogue(全世界カタログ)」という驚くべき出版物があって、私たちの世代ではバイブルの一つになっていました。
その出版物はここらそう遠くないメンローパークでスチュアート・ブランドという男性が製作したもので、
彼の詩的なタッチで生き生きと作られていた。
時代は1960年代後半、パソコンやデスクトップ出版の前なので、タイプライター・はさみ・ポラロイドカメラで製作されていた。
それはGoogleが35年前に遡って出版するペーパーバックのようなもので、理想と洗練されたツール・素晴らしい概念で溢れかえっていた。

スチュアートと彼のチームは「The Whole Earth Catalogue」の出版を幾度か重ね、一通りのものを出すと最終号を出版しました。それが1970年代半ばで、私は皆さんと同じ年代でした。
最終号の背表紙は、早朝の田舎の道の写真で、もし皆さんが冒険好きならヒッチハイクの路上で出会うような写真です。
その写真の下にはこんな言葉が書かれています、「ハングリーであれ、馬鹿であれ」。
それが最終号のお別れのメッセージでした。
「ハングリーであれ、馬鹿であれ」
これを読んでから私自身そうでありたいと願ってきました。
そして今、卒業して新しい道に進む皆さんへ、そうあって欲しいと願います。

「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ、馬鹿であれ)」

ありがとうございました!

さらに、ノートはここで言いたい。

自分であれ!

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